Amze Emmons. Kevin Haas.

by eriyori on Sunday 16 October 2011



Amze Emmons.
Empire Buffet. 2008.

ポップな色使いで描かれた塵。スラムのような街がモチーフとされるEmmonsの作品には、未来的な印象を受ける。それはなぜだろうか。そこに描かれるものが、われわれが普段目にしているものばかりであることだけでも、これが発展途上の国における風景というわけではないことを、われわれに伝えてくれる。そして、背景に用いられるシルエットこそ、この絵に生々しさを与えているように思われる。背景に描かれているのは、20階はあろうかと思われるビルである。都市である。近代から現代にかけて、もはや日常風景の中に埋もれてしまっている何気ない風景は、もはやビルの風景である。この絵は、本来何気ない都市の風景を背景とさせた絵であることに気がつく。しかし、われわれが、これは現代のものでは無いと拒絶するのは、そこに描かれているものが脆く、崩れているところにあるだろう。黄色や赤、むさらきといった食べ物が売られている。色彩ゆたかに描かれることで、不純物、自然ではないということに気がつかされる。
Kevin Haas.
190: Exit 280


Haasも同じだ。普段なにげなくみているマクドナルドのシルエットが見て取れる。しかし、それはシルエットでしかない。しかし、それがマクドナルドであることがわかるのは、ハンバーガーが好きだから。好きな人にとってはこの絵はこわい。でも、べつにマックがキライやねんならこの絵は全然怖くない。

くだらないことを言ったが、この二人が描く異様な都市像は、そんなに現実とかけ離れたものではないことも、最後に付記しておく。

http://amzeemmons.com/
http://www.kevinhaas.com/


Amze Emmons and Kevin Haas . Distintegration and Sprawl . Oct. 06–30, 2011

FOR IMMEDIATE RELEASE: September 20, 2011
Gallery Contact: David Kesting, Gallery Director . 212.334.0204
http://www.christinaray.com/pages/exhibitions-2011-emmons-haas

南三陸けせん丸大漁旗

by eriyori


パラグライダー。早稲田大学で、ついこの間、東北地方の大漁旗を集めて掲示をしていた(展示と呼べるほどキチンとしたものではない)。その中で特に目を引いたのが、このパラグライダーと書かれた旗である。
「南三陸けせん丸」のものであろうこの旗に描かれているのは、まぎれもなくパラグライダー。見よ、この飛翔感。まさしく、穏やかな太平洋の海の男の穏やかさを象徴しているかのようである。
これなら、頑張れる!東北。

東京駅地階Gransta向かうエスカレータ

by eriyori on Tuesday 11 October 2011


最近、東京のアチラコチラで駅ナカが大ブームである。赤羽の駅ナカに最初降り立ったとき、駅を間違えたかと思ったほどである。そんな駅ナカブームであるが、駅の王様、東京駅の駅ナカGRANSTAには、見事な曲折したエスカレーターが存在する。
本来であれば、もっともっと手前で降り立つことが出来るはずなのであるが、なぜここまで客を、持送式に運ばなければならなかったのだろうか。

設備の都合かとも考えたが、いや、なんとなくそうではない。

調べてみると、このGRANSTAの広場には、面白い歴史が。もともと、待ち合わせ場所として「銀の鈴」なるものが、八重洲中央ホールに設置されていた。これは、広い東京駅構内において探し人と落ち合える様、手作りのハリボテで造られた鈴であったらしい。携帯登場以前の待ち合わせスタイルである。そして、この鈴、なんと4代も子孫を残し、その4代目が、現在八重洲地下口通路、つまりGRANSTAに設置されているのである。

東京駅の歴史について http://www.tokyoinfo.com/guide/histry/index.html

そして、この鈴の設置場所は、まさにこのエスカレーターの延長線上に位置する。つまり、このエスカレーターの曲折、中央口から降りてきた人々を、ゆったりと地下通路に運び、その視線の先にしっかりと鈴を見せる。そんな仕掛けがなされているのだろう。そうだろう。ぜったいにそうだ。

それにしても、東京駅。どんな構内をしているのかと気になり調べてみると下のような感じ。ビルのように基準平面もなく、地下がモグラの巣穴のようになると、これほどまで、地図は描き難いのか。ふぁいと。


上野御徒町ガード下店舗

by eriyori on Saturday 24 September 2011


上野のガード下に突如としてあらわれる店舗の外装の様子。向いの中央線側からでると、こっちを見ている。その窓が、高さの違いをもっているのは、その奥に階段が設けられているからであろうか。また、その弧にともなって、看板部分の意匠も、ウネっとひとうねり。大胆かつ不敵。
この不敵な笑みをもうちょっと眺めてみよう。そうすると、だんだんと向かいの中央線に対する挑発のようにも見えるのだ。違い窓スタイルとして、挑発型の意匠なのではないかとふと思い込んでみた。
「ほら、中央線さん。あんたは中野をでればまっすぐしか走ることができないじゃないか。」
「いやいや、常磐線。あんたは全長350キロ。わたしは420キロ。自分の長さの程をわきまえてもらいたいものだね。」
「そんなこといったって、中央線。おまえは所詮中央東線じゃないか」
と、聞こえてきそうである。
しかし、3・11以降の日本。常磐線は福島原発によって、いまだ全線復旧の見込みが無い。いまこそ、手をとりあって欲しいとせつに願う。

東京国立博物館表慶館, 1908

by eriyori


阿吽の獅子。設計は、宮廷建築家でもある片山東熊。赤坂離宮の設計者でもある。獅子の口をよーく見てみたら、阿吽になっている。片方の獅子は、口をしっかり結んでいる。しかし、写真手前の獅子は、ポカンと口を開けている。ちょっと驚いたようにも見える。
阿吽とは、ものごとの初めと終わりをさすと言われる。しかし、この表慶館においては、その意味は形骸化され、門前の形のみを継承しているといった様子だ。
この表慶館、赤坂離宮、つまり旧東宮御所の前年に竣工している。赤坂離宮をみた明治天皇が、片山にひところ、「贅沢すぎる」といったのは有名なはなし。
どことなく、くしゃみ寸前の獅子に見えてきた。

副都心線新宿三丁目駅ホームの柱

by eriyori on Wednesday 31 August 2011




円柱か、角柱か。この問題は建築の歴史の中で様式上、大きな問題である。円柱は、その丸みに優しい印象を感じ、角柱は空間に張り詰めた空気を感じさせ、建築に厳格な印象を与える。
しかし、その両者を嘲笑するかの様に登場した柱がある。円柱二面削ぎ落とし柱である。この柱は、副都心線新宿三丁目駅ホームで見ることが出来る。この柱は言うなればバロック。建築に遊びを与える。そして、円柱を削ぎ落した平滑な面には、曲面が白色に仕上げられているのに対し、灰色によって仕上げられているのである。まるで、柱の中身を曝け出したかのような印象を与える。しかし、足元をよく見て欲しい。灰色である。これは、いくら綺麗に見せようとも足元を支えているのは中身だぜと、柱の本質を啓示しているようにも感じ取れるのである。



そして、時として掲示としての機能も持つのである。

増山士郎 成層圏 Vol.2

by eriyori on Sunday 19 June 2011



増山士郎氏の展示を観てきた。分かりやすいコンセプト。北アイルランドにおける紛争問題を、我が家に突如として現れた犬の糞、自分と糞を介して、糞をさせた誰かとの糞争として展開がされている。糞を除去する自分の映像と、その下には、北アイルランドの領有権が、模型として立ち現れ、自らの住まいをそこに挿入している。
増山さんの作品は以前にも見たことがあった。性欲をそそられて覗いた箱の中には、覗いている姿を映し出す自分のハズカシイおしりが見えるというものだ。普段、無意識な第三者という存在に、瞬時にして自らがその役割を負わされ、意識せざるを得なくなる。そのThe third manには、自分もなりうる、むしろ常に自分は第三者であるという事実を突きつけられる。
犬の糞を処理する自らの映像から、ふと目を逸らし、北アイルランドの模型を俯瞰的に見やる。領土問題を発端とする紛争を、非難する訳ではなく、むしろ、誰しも自分の場所を守ろうとしているという事実、また自らもその一人であることに気がつかされる。


やはり増山士郎さんは、建築学科卒業生だなと模型を見ながら身勝手な思惑にふけた。

成層圏 Stratosphere
行為の装填:鈴木勝雄
Charging Action
Curated by Katsuo SUZUKI 
●増山士郎 Shiro MASUYAMA
2011年5月21日(土)~6月25日(土)12:00~17:00 日月祝休 入場無料

http://www.musabi.ac.jp/gallery/2011-2.html


Posted by Picasa

RED BULL STREET ART VIEW

by eriyori on Thursday 24 March 2011



StreetViewでStreetArt
GoogleAPIは、色んな可能性を提示してくれている。Googleは、情報を蓄積してしかいない。しかし、それを活用してく人間の発想力には驚いてしまう。

http://www.streetartview.com/

Immaterials: Light painting WiFi

by eriyori


Immaterials: Light painting WiFi from Timo on Vimeo.

WiFiが可視化されると、分かってはいるものの、窓や素材等に、明らかに影響されているのが見える。これみると、「壁」って全てを支配する一面を魅せつけられている気もする。
万物<壁

http://yourban.no/

避難者名簿共有サービス

by eriyori on Wednesday 16 March 2011


東日本大地震、被災者の方のご苦労、ご心痛は計り知れないものであるとお察しいたします。お見舞い申し上げます。

未だ、被災地域では情報インフラの整備が進んでいないという。情報が得られないと同時に発信できないことが、被災者、また遠隔の関係者、双方にストレスをかけている。情報は、その共有のネットワークを徐々に広めつつある。家族単位での情報共有から、地域、避難所、市町村、県と範囲を徐々に広めている。避難所と避難所の情報共有として使われているのが、避難所名簿である。これは、避難所入り口付近に掲示板として設置されているものだ。避難所を巡る、人達の頼みの網(ネット)となっているのである。

この貴重な情報が、ネットを通して日本全国からアクセス可能になっている。ネットワークが、その範囲の順序をすっ飛ばして、拡散しているのである。個々の生存情報が、ついにネットに放たれたのである。これを可能にしているのは、緊急であるということに他ならない。本来であれば、名簿の公開にはプライバシーの問題がつきまとい、上手くいかない。しかし、今はそれを言っていられない状況である。

また、重要な点がもうひとつある。それは、彼らはただ写真を送っているだけ、それをデータ化する作業は遠く離れたところで行われている点。また、それが善意で行われているという事実である。OCRがいくら高性能になったとしても、文字情報から読み取れるいくつもの情報は、特に切迫した状況下、間違えられない情報においては、人の手を介さざるをえない。それが、このPicasaのアナログなシステムで解消しているのだ。これも一種のボランティアに他ならない。遠隔地においても出来ることはいっぱいあることを改めて思い知らされる。

そして、アルゴリズムを捨ててまで、これを成し遂げようとしているGoogleに、拍手を贈りたい。

以下、Googleのブログより引用
http://googlejapan.blogspot.com/2011/03/blog-post_14.html
詳細、最新情報は上記アドレスをご確認下さい。
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  1. まず名簿(手書きも可)の写真を携帯電話のカメラでとってください。(お手持ちの携帯にGPS機能が付いている場合、位置情報を添付してくださると、Picasa上で地図と一緒に表示することができます。)
  2. メールの件名に「避難所名」を設定してください。件名に入力した避難所名が、写真共有サービス Picasa 上で自動的に画像の説明に入力されます。
  3. メールに添付して、tohoku.anpi.google@picasaweb.com まで送ってください。自動的に Picasa ウェブアルバムにアップロードされます。複数の画像を同時にお送りいただいても大丈夫です。(下記 QR コードからもメールアドレスを取得できます)
    tohoku.anpi.google@picasaweb.com
  4. 送信していただいた画像は、Picasa ウェブアルバム(短縮URL: goo.gl/ganbare)でご確認いただけます。
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以上

MmmTsss

by eriyori on Monday 7 March 2011


声が声の上に重なるアプリケーション。左クリック一つで操作できる。GarageBandやら色々と最近は手軽に音楽を作ることが出来るようになってきた。その中でも、これが秀逸な点は、音階の入力を声で行う点にあるだろう。音質も当然ながらアナログで入力することが出来るのだ。楽器や譜面の知識なしに、どんどんと入力出来る点がいい。それに、また周期が短いこともノリを良くさせる重要な点である。また、このソフトの軽快さを生み出しているものと想像できる。これ以上の成長を、むしろ望まれない、ある意味役立たずの産物であるけれど、気持よさが抜群。
http://web.mit.edu/~eric_r/Public/mmmtsss/

9/11 Interactive Timeline

by eriyori on Saturday 26 February 2011



9.11の悲劇性を語るのは嫌いだ。また、悲劇を語り継ぐためのモニュメントとしての建築は、現代において、その意味を弱めてきた。いま、インパクトを持ちうるもの、それは周囲の人物との共感から発生するものが多い。つまり、「共有」のシステムである。twitterにおけるRT、FacebookにおけるShareや、Foursquareでの場所に記憶を留めることなどは、すべてこの共感、共有によって成り立っている。「9/11 Interactive Timeline」はそんな共感を呼び起こさせる装置となりうる。動画や、写真、文書などがビジュアルとして、投稿されている。我々は、同時多発したそれら事象を、同時にTLに乗った形で俯瞰することが出来る。そして、それをボタンひとつで、現代のSNSシステムに載せることが出来るのである。あくまで情報を選択的に配置しているために、作品と言わざるを得ず、どの時点において更新を止め、凍結するかが重要である。でなければ、不必要な悲劇の復唱を、喚起するに過ぎなくなる。付言するが、情報は取捨選択されている。

http://timeline.national911memorial.org/#/Explore/

パソコンの神様

by eriyori on Sunday 30 January 2011


2011.1.28 撮影
パソコンには神様がいるん〜やで〜

Posted by Picasa

Qwiki

by eriyori on Thursday 27 January 2011



Qwikiがとうとう一般公開。簡単にいうと、打った言葉でビデオつくって説明してくれる検索エンジン。基本的には、まだwikipediaを引っ張ってきているのだと思う。それでも、動的にそれを説明してくれているだけでこんなにも、面白いんだなと体感出来る。人物であったり地名であったりとある程度のフォーマットがあるのかなという印象で、今後ネットの情報解析が進むようになれば、ニュース番組なんて自動編集、速攻放送でアナウンサーいらずになってしまいそう。Googleのニュースサイトのアルゴリズムと組み合わせれば出来そうなものだけれど。現状では、かなり厳しい情報の選択をしている模様で、あんまりマイナーな用語は見ていても面白くない。

http://www.qwiki.com/

Meiji Gakuin Univ.

by eriyori on Saturday 22 January 2011





そろそろAPIとか叫ばれなくなったこの頃。でもうまい具合に使えているホームページに出会うと感心する。明治学院大学のHPもそんなものの1つだ。トップページには、Youtubeのサムネイルがびっしり貼りつけられている。興味をそそられ覗いてみると、ニュース動画が流れるのだ。タグ付けされていて、もっと情報の深度をあげることも出来る。また、150周年記念サイトを覗くと昔の雑誌等のニュース記事が一面にドカン!と出る。これはヨミダスとの連携のようだ。読み出すは、これまでの記事すべてを情報を付加した形でデータベース化している。つまり、新たに明治学院用のデータベースを構築せずして、「明治学院」とつくような記事を洗いざらい引っ張ってランダムに表示するのだろう。小さい画像も出る。なんと「よみうり抄」まで表示されるではないか。「よみうり抄」とは、新聞社に関わる時事ネタをちっちゃく乗っけている。個人的な情報も多々あり、それゆえに、よくみると貴重な情報であることも多い。 しかし、このホームページの欠点を挙げるとしたら、完成度、むしろ徹底度と呼ぶべきか。APIを駆使した頁から、普通に情報を見る際のインターフェイスが少々分かりづらい。見づらいし、なにせ黄色は目が疲れる。ただ、それを凌駕する面白さがこのHPにはある。

    

http://www.meijigakuin.ac.jp/

Phantasmal Island

by eriyori on Thursday 6 January 2011



ネットに廃墟は既にあります。"Phantasmal Island"このソフトをご存知だろうか。私は、まだこの記事を安穏とした気持ちで書くことはできない。僕がまだネットにトラウマを持っているのは、このサービスのせいでもある。
これは、ネット界で、おそらくかなり初期の仮想都市である。それはすべて共通言語化されたシステムによってなりたっており、様々な「クライアント」が開発された。それは、ネットがようやくISDNのサービスを始めたころにあたり、クライアントの違いは読み込み速度の違いであったと思われる。今でこそみな定額制のネットにつながっている時代であるが、ネットがパケットや接続時間で制限されていた時代だ。クライアントの違いは、死活問題でもあった。私は、このゲームに囚われた。都市を作って、自分を強くして、相手を倒す。当時は、まだまだネットモラルが全然ない時代。簡単に殺人動画や、アダルトサイトに迷いこんでしまう時代であった。自由な時代で、ある意味人間の素性がむき出しの世界だった。優しい人、偽善、憎しみがモロに出ていたゲームだった。ソフトもサービスも、素人のものであったので、それこそ不完全な都市だった。
私は、そこに忘れ物をした。それを、一年後にどうしても気になって取りに行った。都市は変貌し、当時の人は既に散り散りになっていた。私が大事にしていた宝の箱は、誰かに開けられていた。
このシステムはひとりの修士生の論文用として立ち上げられたのだ。β-Yak-38にいつのひか会いたい。


weblioより抜粋 Phantasmal Island(ファンタズマルアイランド、PHI)は、β-Yak-38らによって1992年に誕生した日本国内最古のネットワークRPG。 工学院大学院生だったβ-Yak-38の修士論文のテーマ、仮想都市を舞台にしたサーバークライアント方式のコミュニケーション実験のためで、本来は研究用のシステムであったが、その後ユーザー有志によってサーバーが次々と立ち上げられ、独自に発展を続けている。 クライアントは当初Unix版が中心だったが、Windows用の「Phantasmal Island for Windows95/NT(phiwin32)」が開発された。 その後、TPHI、RPHIなどのWindows用クライアントを経て、現在は主にMPHIとRaphi、Phillyの3つのクライアントが使用されている。 サーバーソフトも公開されているため、Unix環境があれば、自ら世界の創造主「ワールドマスター」となることも可能である。 サーバーはそれぞれ相互にリンクした複合世界を形成し、転送機能によって、プレイヤーはほかのサーバーに自由に移動できる。サーバーが増えるほど、探索できる世界が広がっていく。