長谷川等伯 Hasegawa Tōhaku

by eriyori on Monday 22 February 2010

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今日は、インターンシップの中、東京国立博物館で行われている長谷川等伯の内覧会をのぞかせてもらった。コピーは「絵師の正体を見た」。これまでの長谷川等伯のイメージは、松林図が決定づけてしまっている。霧が立ち込める竹林を、竹を描くのみで表現している。表現し得たというよりも、むしろ霧が立ち込める風景そのものを、史的現在として現存し得たという印象であった。ゆえに、見つめてみるとそれは水墨画でしか存在しえない風景でしかない。
等伯の作品には、あるターニングポイントが存在した。その転換期を、没後400年の期に全作品を集めることにより浮き彫りにするのが、本展覧会の目的となっており、とてもいい発見のある展覧会であった。作品を通して見ると、何か等伯に近代的なものを感じた。どこか、戯画的で、悪く言えばマンガチックな印象を受けたのである。屏風絵という平面的になりがちな中で、どちらかと言えば、立体的である。では、何がマンガチックと感じさせるのであろうか。
「絵師はその正体を見れたのか」それが私が抱いた疑問点であった。率直な感想を述べると、等伯の絵はどこかおどろおどろしい。お化けでも出てきそうである。松林図しかり、霧が立ち込める様子の描写は、光の表現あってのものだ。彼の作品を見て、常々感じるのは、その光が豊富に表現されているということだ。水墨画における光の表現は、黒い墨によって表現することために、等伯はマイナスな表現方をとっている。光を表現出来るということは、闇を理解しているということである。墨というものは、黒色であるからして、闇しか表現しえないのである。
彼の作品の闇を見ていると、お化けが出てきそうだと感じる。それこそ、ちびまる子ちゃんにおいて、さくらももこが「藤木茂」「永沢君男」に対して意識的に描く闇が、等伯が松林図に描いた闇と同一の類になるのではないだろうか。
いい展覧会だったからもういっかい行こう。その時はもっとマヂメに見なきゃだめですね。
http://www.tohaku400th.jp/

google serch featuring twitter!!!

by eriyori on Tuesday 16 February 2010

ファイルWar of wealth bank run poster
google buzは問題点ばかり指摘されてしまっていますが、今回は買収という形をとらなかった(とれなかった?)googleの今後の戦略を読み取るべきではないだろうか。
それより、今回の件で、いっそう10月のgoogle検索にtwitterが組み込まれた理由が分からなくなってしまった。実は、私はこの提携には少々戸惑いを感じた。人類の作り出した情報の統合ということがgoogleの目的とするところだ。その点を踏まえると、われわれの「つぶやき」すらも彼らはデータセンターに取り込むのは当然だろう。(googleは現在もFaceBookにヤキモキしているのだろうか)ただ、私が不安に思ったことは、いつか豊川信用金庫の取り付け騒ぎのようにならないだろうかということだ。つぶやくことが、つぶやくことを誘発しやすい状況が、世界レベルで広がってしまっていることの危険性である。情報に対しての耐性はしばしば指摘されるが、検索サイトにも、その検索品質は備わりつつあったはずだ。しかし、140文字からその悪意を汲みとることなど不可能であろうし、アカウントからその善人悪人を判断するガジェットなどが開発されたら、僕の発言は完全に無視されちゃうでしょ。やだやだやだやだ。自然言語から、これまでのように翻訳ツールへの応用や、スペルチェックなどの開発のためのデータとして蓄える程度にして、もっと情報分析をgoogle側のアルゴリズムがした上で、ニュースを構築するシステムなどを構築するというもっと高貴な使い方をしたほうが良いと思うんだよね。
最初はtwitterと言えば、なんかお花に水やってるよ~とかご飯おいしかったとか、そっから、相手が何してるのかを把握するいわば、メッセンジャーのステータスのみの一方通行のコミュニケーションツールだったはずなのに、いつの間にか無駄話ツールみたいになったのにはびっくりした。ほんと、ツールって使われ方次第だなぁとtwitterを最初見くびっていた自分を恥ずかしく思ったりもした。まだ、twitterには追いつけないけれどね。破断面見え見えのデザインが今はかっこええな。

追伸 2010/04
すごい勘違い。twitterってそれで儲けてるのねん

http://ja.wikipedia.org/wiki/豊川信用金庫事件

team Lab

by eriyori on Thursday 11 February 2010

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入り口からこんな調子...不安不安。でも、

こんなオフィスで働いてみたいと思える大企業だった。チームラボ株式会社。なんの会社なのかということを答えるのは少しためらう。それくらい、それくらい可能性を感じてしまう会社だと思う。むかし、たまたま見つけた「やわらか茶室」がとても興味深くて、見ていたのだが、それがタマタマ先輩の親戚の会社であることが判明。運命や~ ということで、行ってきましたteamLab!!

“Lab”ってそうゆう意味かと会社をみて、良くわかった。基本的にはweb制作をしているのだけれど、CGはもちろん家具から茶室まで、ほんと目的地はどこにあるんだろうかと悩んでしまう。ただ、それが研究室なんだと考えると理解がいった。研究室にももちろん、目的はあるけれど、ただ企業のそれと違うのは、競合他社の存在がいないということだろう。研究の成果は人知として共有されていくし、蓄積される。そして、プロジェクトの短期としての目的は明瞭であるのに対して、長期的な目標というのは、かなり大枠に捉えられる。そんなところが、チームラボにはあるように感じた。

今日はすっごい興奮したので、なんかカッコつけたことを言わないです(笑)代表の猪子さんは、大変魅力的な方だった!すごいグイグイくるのだけれど、ちゃんと話も理解してくれて、取引先は、ある意味で、猪子氏のパトロンなのではないのかなっという印象。もちろんいい意味で。

http://www.team-lab.net/

文化庁メディア芸術祭 Japan media arts festival

by eriyori on Sunday 7 February 2010

新美術館で開催中のメディア芸術祭に行ってきた。去年は、調査旅行に行ってしまっていたため、見に行くことが出来なかったが、今年は就職活動の合間を縫い、参加してきた。

総じていえば、混んでいて疲れはしたが、面白かった。ゲームや漫画の面積が多いように感じたが、気のせいだろうか。宮本茂氏が功労賞として取り上げられていたが、今更であったのかと驚いてしまった。たぶん、今年はゲーム関係がメディアアートとして注視されてはいたのだろう。その中で、ラブプラスが大賞はおろか、優秀賞も逃したのは、意外であった。リアルな時系列で行われる、恋愛体験というこれまでには無かったほど、ゲーム要素を無くしたかなりチャレンジな企画であったと思うのに、なぜだろう。映像の美しさや、インターフェイスの真新しさが結局のところ評価大賞となってしまったのが、残念だ。ラブプラスをやる人間をアート部門で出したら、大賞に近かったんじゃないかなぁ。なんて(笑)

僕なりの感想ではあるのだが、これってメディアアートとして表現する必要性があるのだろうかと思える作品も幾つかあった。クリエイティブな思考の中で、時として生まれるありえない風景を、メディアアートとしてわざわざ顕在化させるような、うまく言えないけれど、どこか還元させることで作品としてしまっているだけのものがあった。また、これは映画でやれば良いだろうと思えるようなものや、これって演出家のあた真ん中そのものだよなと思える作品に出会ってしまうと、わざわざメディアアートとして作品化する意味ということを問いたくなる。

もう13回目という不吉なnumberに到るまで続いたのだから、そろそろメディアアートの位置づけがはっきりするべき時期が来たように思うし、そこにもっとアーティストは意識的になるべきかと思う。どこか、堂々巡りで停滞の感が否めないのが昨今のメディアアートの現状ではないか。ただ、音がなってウルサイものが、メディアアートだと思い始めてしまうまえに、一度ここで整理をするべきであろう。

http://plaza.bunka.go.jp/festival/