「10番目の感傷(点・線・面)」クワクボリョウタ

by eriyori on Friday 31 December 2010

The Tenth Sentiment
OPEN SPACE 2010 展示作品
(NTT インターコミュニケーション・センター [ICC]、2010/05/15 ~ 2011/2/27)

この作品を、ICCで見た。暗幕をくぐるとそこは、真っ暗。段々と目が慣れてくると、目の前に現れるのは影。何気なくそれを見ていると、それが動いている。しかも、どこかで見たような影の形。鉛筆だ!
普段、何気なく使っているモノたちが、暗闇の中で照らされながら部屋の壁にその影を投影させる。動く電灯以外に明かりは無いものだから、中に入っている観客は、その闇に呑まれたりもしてしまう。鉛筆の影に呑まれる感覚は大変不思議なものだ。ミクロアドヴェンチャーの様な感覚もある。
大好きな作品になった。この作品は、勝手に出来上がる影を見るだけに過ぎないのだが、何故か見るものに体験を促す。動く光源、また無垢の壁が創りだすのは前述のように、影だけ。連続された影の動きだけを見ているとそれは、あたかも風景として見えてくるようになる。これが不思議な感覚なのだ。
あれは、乗り物酔いする。

クワクボリョウタ

デバイスアーティスト。明和電機との交流も深く、BITMAN の開発にも関わっている。1971年生まれ。筑波大学大学院修士課程デザイン研究科総合造形修了、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)アートアンドラボ科卒業。
http://www.vector-scan.com/

Google TV

by eriyori on Thursday 14 October 2010


モウ、Googleがなんかするごとに話題になってしまいますが、とうとうソニーサイドからTVが発表されたそうです。
GoogleTVの何がすごいかと言えば、そんなにすごいことはしていないというのが、正直なところです。しかし、どんなに世界が広くなっても、力道山から脈略と続く、テレビ中心の生活がまだまだ我々は抜けていません。
いまだ、家庭の中心にはTVがあります。それと、Googleの理念が合致したに過ぎません。Googleは我々人類の集積してきたすべてを保存しようとしています。それを活用できるのもまた我々人類です。だからこそ、この生活の中心にGoogleというのは、生活がより豊かに、また高度な発展を意味すると思うんです。


  また、Googleかなんて、悪い言い方とする人もいますが、それは全く違います。我々を救いに来たんです。いまや、デジタルテレビの波は、鹿によってなんと なく温和に過ぎようとしています。それこそ馬鹿な話です。2011年7月を過ぎれば、日本は一気に後進国になるでしょう。世界は、もうオリジナルの規格なんて、おいてけぼりの対象なんだよ。
反則技としか思えないこの価格。とにかくこの価格にやられてしまいます。
ラインナップは24インチの「NSX-24GT1」が599.99ドル(約4万9100円)、32インチの「NSX-32GT1」が799.99ドル(約 6万5500円) 、40インチの「NSX-40GT1」が999.99ドル(約8万1900円) 46インチの「NSX-46GT1」が1399.99ドル(約11万4600円)
写真、ソースともにGigazine( http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20101013_sony_google_tv/ )


http://www.google.com/tv

Chilean Mine

by eriyori


このチリで起きているニュースを、電車の中でアンドロイドで、ユーストリーム上でチリのニュース映像を見た。
携帯電話で、見ていた映像がチリのニュースでそれを独り占めで見ている自分という構図が、不思議と素直に受け止められた。これは、ネットワークが張り巡らされたこと。ustreamのようなシステムを受け入れられるようなハードの充実。もちろんソフト面も。そして、Androidやiphoneの様なデバイスを一人ひとりが持つことが出来るようになったこと。すべての発展が結びついてこの感動がもたらされたんだなぁと。
http://www.ustream.tv/

怠らない努力

by eriyori

ブログ友達がイヤミを言います。
「月一で更新しないと誰も見ないよ」と。

Monty Python

by eriyori on Sunday 10 October 2010




若き日の、テリー・ギリアムがアニメーションに参加している。とのこと。

SPmode docomo

by eriyori on Wednesday 6 October 2010

Xperiaユーザーの私は、もちろんSPmodeに契約を変えた。1週間後、もとの契約に戻した。


多くは言いませんが、ソフトがシステムを要求しているのが、普通であるはずだが、このSPモードはシステムがソフトを必要としてしまっている。


全くもって競争が生まれないし、イイモノも出来ないよね。

http://www.nttdocomo.co.jp/

大正に於ける尖端の風景

by eriyori on Tuesday 5 October 2010

お魚の遊具。大正に生まれていればこんなに楽しい遊具で遊べたことでしょう。皆さんはおしいことをしましたね。場所は秘密です。『建築新潮』七年四号より写真抜粋
先端技術の紹介はさておき、今日は私の専門であります大正建築の"尖端"風景を紹介します。
お魚さんです。


さぁて。

Beyond

by eriyori on Thursday 22 July 2010


三次元の感覚をどのように、入力するかというのは色々これまでも試みられてきた。この石井氏の「Beyond」はペン入力を進化させたに過ぎないフォルムだけれど、ペン先が平面を突き抜けたことに大きな意味を含んでいるような気がしてならない。
スーパーフラット等の、現代の見方は、このタッチペン等、平面的な入力デバイスと現実へ歩み寄るための三次元入力への葛藤が結果的に生み出した現状を投影したに過ぎないと見ることも出来そうだ。
Beyondの何に感動したかと言えば、そんな先進的な技術でもなければ、革新を起こすかとも思えない。ただ単に石井さんが発明したことがこれほど話題になることに日本人として感動しているだけです。


http://www.designboom.com/weblog/cat/16/view/10849/jinha-lee-beyond.html

以下、引用

while touchscreen devices are more ubiquitous than ever, really only allow users to draw in two dimensions. beyond is a concept that allows users to sketch in three dimensions of an interactive surface developed by jinha lee and hiroshi ishii of the MIT media lab. the system utilizes a collapsible input device for direct 3d manipulation. the small pen-like tool collapses into the digital world when pressed against the screen, giving the illusion that it is inside the virtual space. by moving the pen around the screen and adjusting its height, users can draw objects in three dimensions. by adding an interactive glove element, the system can even be used to draw cubes, cylinders and other three-dimensional objects. while the concept is quite novel, it could become an indispensable tool for designers sketching digitally.

http://tangible.media.mit.edu/person.php?recid=81

twitter

by eriyori on Thursday 8 July 2010

始めてみて2カ月ほど。まだまだ、フォローも、フォロワーも少ない次第です。
知人とのやり取りは大変に楽しい。ただ、その楽しさは、これまでのSNSと全く同種であったと言ってよい。twitter特有の楽しさは別にあると感じた。
それは、my世界を作れること。TL(タイムライン)上に流れる人々の会話は、一見つながりも何もない、やり取りともいえないものである。しかし、私は、それを頭の中で、私の周りの中で流れる事象として変換していることに気がついた。主観的な変換であり、全く正しいものでないことは明らかな変換。ただ、TLを理解するうえでは、そうするしか術がなかったかのようである。本来、多層的であるTLの流れを、理解することが出来ずに、単一な平面に落としこむことでしか、把握できなかったのである。
つまり、私は私が都合のよいように、自らを中心とした世界を作ってしまったのである。これが、twitterの面白い、心地よい部分なのではないかと考えている。それは、危険性ももちろんはらんではいるものの、今のところそれを語れるほどの余裕が私には無い。
それでは、自分の世界に行ってきます。

メールの作法

by eriyori on Tuesday 18 May 2010


最近、私の中でメールの作法が変化してきた。Gmailを使い始めてからというもの、mailをあたかもtodo管理のように利用しつつある。メールが仕事のリスト化され、それらがラベルによって仕分けはされているものの、twitterのTimeLineの様に表示されているために、生活のリズムに溶け込んでしまっている。
この変化は、todo(すること)の大半が他の人との関係から生まれて来ているのだとも私の中では言い換えられる。そのことを、Gmailが生活の基幹となっている自分自身をみると良く感じる。GoogleBuzzは一般的には失敗と捉えられているが果たしてそうだろうか。
Buzzの失敗は、平穏にGmailを使っていた人を勝手に引きずり込んだことにあると考えられている。また、twitterのパクリとして捉えられてしまったことも敗因の一つだろう。私は上記のことを拒否した我々自体が、時代錯誤では無かろうかと思っている。Gmailにリアルタイムでやり取り出来る環境が整えられることが重大なのであって、これは来るべきGoogleWaveに対して抵抗力をつける布石とも考えられる。GoogleWaveは正にGmailとtwitterのいいとこ取りをしたようなシステムであるように感じる。twitterはあまりにも人間味に溢れすぎている。これは、ビジネスチャンスをつかむきっかけにはなるであろうが、ビジネスを進めるには向かない(現行のインターフェイスでは)。一方Gmailは、atomとしての手紙がbit化したものでしか無く、形式的なものが重んじられている以上(Gmailの発達した返信機能はこれを打ち崩す力を少なからず持っていると私は考えている)、今以上のフランクさは生まれてこないし、その一線を越えてはならない節が無くもない。
今、少し熱も冷めてしまっている感もあるGoogleWaveであるが、利用の仕方一つで大きな近く変動を起こすものであると少しだけ。。。信じている。

増山士郎 Masuyama Shiro

by eriyori on Friday 19 March 2010

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増山士郎に会ってきた。ていうか現代美術製作所にいったらいらっしゃって説明してくださった。現代美術製作所には、卒業論文の時から出入させてもらっていて、好きなギャラリーの一つだ。大きさがちょうどいいし、向島っていい場所だよね。
子どもが多い気がするって話をしたら、高層マンションが建ったからという話だった。高層マンションも建つところに建てば、いい面もあんだなぁと。でも、それが、つかの間の夢みたいにならないといいのですが。

増山士郎展大変おもしろかったです。欲を言えば、これまでのもっとラジカルな一面があの製作所の中に破裂していても面白かったし、作品のもっているビビットな色がもっともっと出ていたら面白かったのかなぁと。ただ、増山さんと話すと、ほんとうにこの人が作ったのかと思うくらい、口調は穏やかで、でも内容は結構熱いところがあって、おもしろかった。もっともっと、これから追って行きたい芸術家でした。僕の好きなタイプの方でもありました。変に突っ張らない。でもしっかりしたビジョンを持っている。
おすすめですよー

増山士郎
経歴 1971 東京生まれ、川崎出身
1971 ベルリン、及び、神奈川在住 

2007 ART11号・ディレクター

http://www15.ocn.ne.jp/~g-caf/exhibition/artists/masuyama/2010/2010_3_9_masuyama.html

teamLab 2nd

by eriyori

二回目のチームラボに行ってきた。いやぁ正直入れてもらおうかと思ってお願いしますって言ったのですが門前払い(笑)そうですよね。でももっと好きになった!チームラボ。人を見る目があるわほんと~
「いれてくだちゃい」っていうか。語尾を全部「-さる」にしようか迷ったのですが、結局、普通に言ってしまった。そんなこんなな就職活動。正直、楽すぃ。

長谷川等伯 Hasegawa Tōhaku

by eriyori on Monday 22 February 2010

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今日は、インターンシップの中、東京国立博物館で行われている長谷川等伯の内覧会をのぞかせてもらった。コピーは「絵師の正体を見た」。これまでの長谷川等伯のイメージは、松林図が決定づけてしまっている。霧が立ち込める竹林を、竹を描くのみで表現している。表現し得たというよりも、むしろ霧が立ち込める風景そのものを、史的現在として現存し得たという印象であった。ゆえに、見つめてみるとそれは水墨画でしか存在しえない風景でしかない。
等伯の作品には、あるターニングポイントが存在した。その転換期を、没後400年の期に全作品を集めることにより浮き彫りにするのが、本展覧会の目的となっており、とてもいい発見のある展覧会であった。作品を通して見ると、何か等伯に近代的なものを感じた。どこか、戯画的で、悪く言えばマンガチックな印象を受けたのである。屏風絵という平面的になりがちな中で、どちらかと言えば、立体的である。では、何がマンガチックと感じさせるのであろうか。
「絵師はその正体を見れたのか」それが私が抱いた疑問点であった。率直な感想を述べると、等伯の絵はどこかおどろおどろしい。お化けでも出てきそうである。松林図しかり、霧が立ち込める様子の描写は、光の表現あってのものだ。彼の作品を見て、常々感じるのは、その光が豊富に表現されているということだ。水墨画における光の表現は、黒い墨によって表現することために、等伯はマイナスな表現方をとっている。光を表現出来るということは、闇を理解しているということである。墨というものは、黒色であるからして、闇しか表現しえないのである。
彼の作品の闇を見ていると、お化けが出てきそうだと感じる。それこそ、ちびまる子ちゃんにおいて、さくらももこが「藤木茂」「永沢君男」に対して意識的に描く闇が、等伯が松林図に描いた闇と同一の類になるのではないだろうか。
いい展覧会だったからもういっかい行こう。その時はもっとマヂメに見なきゃだめですね。
http://www.tohaku400th.jp/

google serch featuring twitter!!!

by eriyori on Tuesday 16 February 2010

ファイルWar of wealth bank run poster
google buzは問題点ばかり指摘されてしまっていますが、今回は買収という形をとらなかった(とれなかった?)googleの今後の戦略を読み取るべきではないだろうか。
それより、今回の件で、いっそう10月のgoogle検索にtwitterが組み込まれた理由が分からなくなってしまった。実は、私はこの提携には少々戸惑いを感じた。人類の作り出した情報の統合ということがgoogleの目的とするところだ。その点を踏まえると、われわれの「つぶやき」すらも彼らはデータセンターに取り込むのは当然だろう。(googleは現在もFaceBookにヤキモキしているのだろうか)ただ、私が不安に思ったことは、いつか豊川信用金庫の取り付け騒ぎのようにならないだろうかということだ。つぶやくことが、つぶやくことを誘発しやすい状況が、世界レベルで広がってしまっていることの危険性である。情報に対しての耐性はしばしば指摘されるが、検索サイトにも、その検索品質は備わりつつあったはずだ。しかし、140文字からその悪意を汲みとることなど不可能であろうし、アカウントからその善人悪人を判断するガジェットなどが開発されたら、僕の発言は完全に無視されちゃうでしょ。やだやだやだやだ。自然言語から、これまでのように翻訳ツールへの応用や、スペルチェックなどの開発のためのデータとして蓄える程度にして、もっと情報分析をgoogle側のアルゴリズムがした上で、ニュースを構築するシステムなどを構築するというもっと高貴な使い方をしたほうが良いと思うんだよね。
最初はtwitterと言えば、なんかお花に水やってるよ~とかご飯おいしかったとか、そっから、相手が何してるのかを把握するいわば、メッセンジャーのステータスのみの一方通行のコミュニケーションツールだったはずなのに、いつの間にか無駄話ツールみたいになったのにはびっくりした。ほんと、ツールって使われ方次第だなぁとtwitterを最初見くびっていた自分を恥ずかしく思ったりもした。まだ、twitterには追いつけないけれどね。破断面見え見えのデザインが今はかっこええな。

追伸 2010/04
すごい勘違い。twitterってそれで儲けてるのねん

http://ja.wikipedia.org/wiki/豊川信用金庫事件

team Lab

by eriyori on Thursday 11 February 2010

DSC02027

入り口からこんな調子...不安不安。でも、

こんなオフィスで働いてみたいと思える大企業だった。チームラボ株式会社。なんの会社なのかということを答えるのは少しためらう。それくらい、それくらい可能性を感じてしまう会社だと思う。むかし、たまたま見つけた「やわらか茶室」がとても興味深くて、見ていたのだが、それがタマタマ先輩の親戚の会社であることが判明。運命や~ ということで、行ってきましたteamLab!!

“Lab”ってそうゆう意味かと会社をみて、良くわかった。基本的にはweb制作をしているのだけれど、CGはもちろん家具から茶室まで、ほんと目的地はどこにあるんだろうかと悩んでしまう。ただ、それが研究室なんだと考えると理解がいった。研究室にももちろん、目的はあるけれど、ただ企業のそれと違うのは、競合他社の存在がいないということだろう。研究の成果は人知として共有されていくし、蓄積される。そして、プロジェクトの短期としての目的は明瞭であるのに対して、長期的な目標というのは、かなり大枠に捉えられる。そんなところが、チームラボにはあるように感じた。

今日はすっごい興奮したので、なんかカッコつけたことを言わないです(笑)代表の猪子さんは、大変魅力的な方だった!すごいグイグイくるのだけれど、ちゃんと話も理解してくれて、取引先は、ある意味で、猪子氏のパトロンなのではないのかなっという印象。もちろんいい意味で。

http://www.team-lab.net/

文化庁メディア芸術祭 Japan media arts festival

by eriyori on Sunday 7 February 2010

新美術館で開催中のメディア芸術祭に行ってきた。去年は、調査旅行に行ってしまっていたため、見に行くことが出来なかったが、今年は就職活動の合間を縫い、参加してきた。

総じていえば、混んでいて疲れはしたが、面白かった。ゲームや漫画の面積が多いように感じたが、気のせいだろうか。宮本茂氏が功労賞として取り上げられていたが、今更であったのかと驚いてしまった。たぶん、今年はゲーム関係がメディアアートとして注視されてはいたのだろう。その中で、ラブプラスが大賞はおろか、優秀賞も逃したのは、意外であった。リアルな時系列で行われる、恋愛体験というこれまでには無かったほど、ゲーム要素を無くしたかなりチャレンジな企画であったと思うのに、なぜだろう。映像の美しさや、インターフェイスの真新しさが結局のところ評価大賞となってしまったのが、残念だ。ラブプラスをやる人間をアート部門で出したら、大賞に近かったんじゃないかなぁ。なんて(笑)

僕なりの感想ではあるのだが、これってメディアアートとして表現する必要性があるのだろうかと思える作品も幾つかあった。クリエイティブな思考の中で、時として生まれるありえない風景を、メディアアートとしてわざわざ顕在化させるような、うまく言えないけれど、どこか還元させることで作品としてしまっているだけのものがあった。また、これは映画でやれば良いだろうと思えるようなものや、これって演出家のあた真ん中そのものだよなと思える作品に出会ってしまうと、わざわざメディアアートとして作品化する意味ということを問いたくなる。

もう13回目という不吉なnumberに到るまで続いたのだから、そろそろメディアアートの位置づけがはっきりするべき時期が来たように思うし、そこにもっとアーティストは意識的になるべきかと思う。どこか、堂々巡りで停滞の感が否めないのが昨今のメディアアートの現状ではないか。ただ、音がなってウルサイものが、メディアアートだと思い始めてしまうまえに、一度ここで整理をするべきであろう。

http://plaza.bunka.go.jp/festival/

ipad

by eriyori on Sunday 31 January 2010

maps_20100127ipadが発売されたけれど、好きゆえに厳しい批判を個人的にはしてるけれど、せっかくだから自分だったらどう使うかなーと夢見てみようと思う。

当然、使い方はパソコンとは違うですよね。それにネットブックのカテゴリーに入るなんて、おかしなことを言ってる人たちもいますが、違うでしょうね。

カテゴリー的にはぁ。。。ノートとペンって感じ(笑)じゃないですかね。僕もネットブックを使っていて、起動だって早いし、ウェブだって気楽にできるし生活が変わりました。それでもいつも持ち歩こうって気にはならないんです。それは、やっぱ広げる、立ち上げるって操作があるからだと思う。だってやっぱり電車でパソコンを広げるためには座ってなきゃ出来ないし、すいてなきゃ広げる気にはなりませんよね。ipadの魅力はそこだと思う。思ったときにすぐネットやスケジュール管理が出来る。今まで、ノートとアルバムとipodとカメラと。。。と持ち歩いていたのがipad一台で済むだけじゃなくて、出来ることの幅も広がる。そう考えると、マルチタスクが使えないぐらい我慢しとけ!って気になります(笑)

それ以上に大事なことは常にネットにつながっていること。結局ipadなんて窓でしか無いわけだから、これだけじゃ使い物にならないでしょう。だーかーら言いたいことは、ハードの発売なんかで騒いでるんじゃダメでしょうと。

やっぱりこのブログのコンセプト、多元的サービスの融合のカタチ♥それにやっぱ期待するなぁ。だんだんipadが額縁に見えてきましたね

http://www.apple.com/ipad/

華狩頌

by eriyori

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この版画が大好きだ。父も趣味の範疇ではあるが版画をやっていて、そんな影響もあるのかもしれない。
この作品の作者は棟方志功。彼の作風は良く知られ、近視のためかもしれないが彫り方にはやはり情熱を感じてします。この「華狩頌」も彼の代表作として、多くの人に感動を与えている…らしい。僕がこの作品を見たのは、青森県立美術館であった。棟方の作品が多く所蔵されている。

胸を張って弓を放つ男。頭をもたげる馬。どれも躍動感があって、それに飛び回る鳥も花も全部画面いっぱいに広がっていていて華やか。花がなんで塊みたいに、つぼみみたいに描かれていて、狩られる!っていう雰囲気だ出てる気がする。すべてが力強いのになんで愛を感じる作品なんだろう。日本人のこれまでの美的感覚と全く真逆のところにある作品だと感じる。

http://www.lantecweb.net/shikokan/

可能世界空間論 MetaverseProject

by eriyori on Saturday 16 January 2010

(1)田中浩也(たなかひろや)+岩岡孝太郎(いわおかこうたろう)+平本知樹(ひらもとともき) 《オープン・(リ)ソース・ファニチャー Ver

iccで行われる可能世界空間論の内覧会に行ってきた。もちろん代理で(笑)

iccの活動自体に共鳴はしているつもりなので、よく展覧会には行くようにしている。これまで行った中でも今回の展覧会は、かなり先進的なものだったように思う。それは、まだ完成していないという意味で、議論の余地があって面白かった。

ただ、建築のフィールドにいる人間として展覧会を見てしまうと、誤った解釈をしてしまうように感じる。とくに、舘知宏氏の《建築折紙》は特に勘違いしやすい。また、これはある程度完成し、発展性にかけてしまうようにも感じる。

この展覧会の趣旨は、メタバース・プロジェクトの経過報告でしかなくて、メタバースとは何かという事自体を考える段階にしかない。だから、これは応用的なところにまだ落ち着かせてはならず、科学的な分析にとどめておくべきものだと思う。その意味では、柄沢祐輔(からさわゆうすけ)+松山剛士(まつやまたかし) の《中心が移動し続ける都市》が、分析までにとどめているという点で、発展の余地(もちろん建築・都市に還元出来る可能性があるという意味ではなく)があったように思う。

メタバースというもののそもそもの出発点が、”インターネット上に構築される3D仮想空間であるメタバースを利用し、実際の商用展開とは別の展開方法を追求することで、メタバースの新しい可能性を提示することを目的としたプロジェクト。”であるのだから、やはり現実世界への展開ということはあまり考えない方が良いのではないかと学生ながら朧気に感じた。

ふふふ。小生意気な感想だねw でも楽しかったですよ。シンポとか解説を聞かないとと正直分からない。なぜなら、芸術じゃなくて科学だから

http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Exploration_in_Possible_Spaces/index_j.html

もののけ姫 Princess Mononoke

by eriyori on Saturday 9 January 2010

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今日、もののけ姫をやっていた。たまたま。世界観が僕は好きで見てしまうのだが、世界観が好きというだけでなく、その世界が好きなワケで、私は、もののけ姫の世界に住んでみたくなる。贅沢を言えるなら、山犬になりたい。

難解で、私は何故タタラ場が作品上、地侍にあのタイミングで襲われたのかが分からない。もののけ姫の世界の中では、つじつまが合っているには合っているが、アシタカが吐くセリフ「そなたの敵はほかにいるはずだ」という言葉を合わせると、テーマの歯切れがもっと悪い。

考えても分からないから、もう今日は寝ます。

地侍だけシシ神様とは全く接点がない。生きるという実感も無く、タタラの経営権を求めるだけの姿が、今の僕たちにダブって見えてしまうね。

死ね!!。。。。。生きる!!!!!!