google buzは問題点ばかり指摘されてしまっていますが、今回は買収という形をとらなかった(とれなかった?)googleの今後の戦略を読み取るべきではないだろうか。
それより、今回の件で、いっそう10月のgoogle検索にtwitterが組み込まれた理由が分からなくなってしまった。実は、私はこの提携には少々戸惑いを感じた。人類の作り出した情報の統合ということがgoogleの目的とするところだ。その点を踏まえると、われわれの「つぶやき」すらも彼らはデータセンターに取り込むのは当然だろう。(googleは現在もFaceBookにヤキモキしているのだろうか)ただ、私が不安に思ったことは、いつか豊川信用金庫の取り付け騒ぎのようにならないだろうかということだ。つぶやくことが、つぶやくことを誘発しやすい状況が、世界レベルで広がってしまっていることの危険性である。情報に対しての耐性はしばしば指摘されるが、検索サイトにも、その検索品質は備わりつつあったはずだ。しかし、140文字からその悪意を汲みとることなど不可能であろうし、アカウントからその善人悪人を判断するガジェットなどが開発されたら、僕の発言は完全に無視されちゃうでしょ。やだやだやだやだ。自然言語から、これまでのように翻訳ツールへの応用や、スペルチェックなどの開発のためのデータとして蓄える程度にして、もっと情報分析をgoogle側のアルゴリズムがした上で、ニュースを構築するシステムなどを構築するというもっと高貴な使い方をしたほうが良いと思うんだよね。
最初はtwitterと言えば、なんかお花に水やってるよ~とかご飯おいしかったとか、そっから、相手が何してるのかを把握するいわば、メッセンジャーのステータスのみの一方通行のコミュニケーションツールだったはずなのに、いつの間にか無駄話ツールみたいになったのにはびっくりした。ほんと、ツールって使われ方次第だなぁとtwitterを最初見くびっていた自分を恥ずかしく思ったりもした。まだ、twitterには追いつけないけれどね。破断面見え見えのデザインが今はかっこええな。
追伸 2010/04
すごい勘違い。twitterってそれで儲けてるのねん
http://ja.wikipedia.org/wiki/豊川信用金庫事件
入り口からこんな調子...不安不安。でも、
こんなオフィスで働いてみたいと思える大企業だった。チームラボ株式会社。なんの会社なのかということを答えるのは少しためらう。それくらい、それくらい可能性を感じてしまう会社だと思う。むかし、たまたま見つけた「やわらか茶室」がとても興味深くて、見ていたのだが、それがタマタマ先輩の親戚の会社であることが判明。運命や~ ということで、行ってきましたteamLab!!
“Lab”ってそうゆう意味かと会社をみて、良くわかった。基本的にはweb制作をしているのだけれど、CGはもちろん家具から茶室まで、ほんと目的地はどこにあるんだろうかと悩んでしまう。ただ、それが研究室なんだと考えると理解がいった。研究室にももちろん、目的はあるけれど、ただ企業のそれと違うのは、競合他社の存在がいないということだろう。研究の成果は人知として共有されていくし、蓄積される。そして、プロジェクトの短期としての目的は明瞭であるのに対して、長期的な目標というのは、かなり大枠に捉えられる。そんなところが、チームラボにはあるように感じた。
今日はすっごい興奮したので、なんかカッコつけたことを言わないです(笑)代表の猪子さんは、大変魅力的な方だった!すごいグイグイくるのだけれど、ちゃんと話も理解してくれて、取引先は、ある意味で、猪子氏のパトロンなのではないのかなっという印象。もちろんいい意味で。
新美術館で開催中のメディア芸術祭に行ってきた。去年は、調査旅行に行ってしまっていたため、見に行くことが出来なかったが、今年は就職活動の合間を縫い、参加してきた。
総じていえば、混んでいて疲れはしたが、面白かった。ゲームや漫画の面積が多いように感じたが、気のせいだろうか。宮本茂氏が功労賞として取り上げられていたが、今更であったのかと驚いてしまった。たぶん、今年はゲーム関係がメディアアートとして注視されてはいたのだろう。その中で、ラブプラスが大賞はおろか、優秀賞も逃したのは、意外であった。リアルな時系列で行われる、恋愛体験というこれまでには無かったほど、ゲーム要素を無くしたかなりチャレンジな企画であったと思うのに、なぜだろう。映像の美しさや、インターフェイスの真新しさが結局のところ評価大賞となってしまったのが、残念だ。ラブプラスをやる人間をアート部門で出したら、大賞に近かったんじゃないかなぁ。なんて(笑)
僕なりの感想ではあるのだが、これってメディアアートとして表現する必要性があるのだろうかと思える作品も幾つかあった。クリエイティブな思考の中で、時として生まれるありえない風景を、メディアアートとしてわざわざ顕在化させるような、うまく言えないけれど、どこか還元させることで作品としてしまっているだけのものがあった。また、これは映画でやれば良いだろうと思えるようなものや、これって演出家のあた真ん中そのものだよなと思える作品に出会ってしまうと、わざわざメディアアートとして作品化する意味ということを問いたくなる。
もう13回目という不吉なnumberに到るまで続いたのだから、そろそろメディアアートの位置づけがはっきりするべき時期が来たように思うし、そこにもっとアーティストは意識的になるべきかと思う。どこか、堂々巡りで停滞の感が否めないのが昨今のメディアアートの現状ではないか。ただ、音がなってウルサイものが、メディアアートだと思い始めてしまうまえに、一度ここで整理をするべきであろう。
ipadが発売されたけれど、好きゆえに厳しい批判を個人的にはしてるけれど、せっかくだから自分だったらどう使うかなーと夢見てみようと思う。
当然、使い方はパソコンとは違うですよね。それにネットブックのカテゴリーに入るなんて、おかしなことを言ってる人たちもいますが、違うでしょうね。
カテゴリー的にはぁ。。。ノートとペンって感じ(笑)じゃないですかね。僕もネットブックを使っていて、起動だって早いし、ウェブだって気楽にできるし生活が変わりました。それでもいつも持ち歩こうって気にはならないんです。それは、やっぱ広げる、立ち上げるって操作があるからだと思う。だってやっぱり電車でパソコンを広げるためには座ってなきゃ出来ないし、すいてなきゃ広げる気にはなりませんよね。ipadの魅力はそこだと思う。思ったときにすぐネットやスケジュール管理が出来る。今まで、ノートとアルバムとipodとカメラと。。。と持ち歩いていたのがipad一台で済むだけじゃなくて、出来ることの幅も広がる。そう考えると、マルチタスクが使えないぐらい我慢しとけ!って気になります(笑)
それ以上に大事なことは常にネットにつながっていること。結局ipadなんて窓でしか無いわけだから、これだけじゃ使い物にならないでしょう。だーかーら言いたいことは、ハードの発売なんかで騒いでるんじゃダメでしょうと。
やっぱりこのブログのコンセプト、多元的サービスの融合のカタチ♥それにやっぱ期待するなぁ。だんだんipadが額縁に見えてきましたね
この版画が大好きだ。父も趣味の範疇ではあるが版画をやっていて、そんな影響もあるのかもしれない。
この作品の作者は棟方志功。彼の作風は良く知られ、近視のためかもしれないが彫り方にはやはり情熱を感じてします。この「華狩頌」も彼の代表作として、多くの人に感動を与えている…らしい。僕がこの作品を見たのは、青森県立美術館であった。棟方の作品が多く所蔵されている。
胸を張って弓を放つ男。頭をもたげる馬。どれも躍動感があって、それに飛び回る鳥も花も全部画面いっぱいに広がっていていて華やか。花がなんで塊みたいに、つぼみみたいに描かれていて、狩られる!っていう雰囲気だ出てる気がする。すべてが力強いのになんで愛を感じる作品なんだろう。日本人のこれまでの美的感覚と全く真逆のところにある作品だと感じる。
iccで行われる可能世界空間論の内覧会に行ってきた。もちろん代理で(笑)
iccの活動自体に共鳴はしているつもりなので、よく展覧会には行くようにしている。これまで行った中でも今回の展覧会は、かなり先進的なものだったように思う。それは、まだ完成していないという意味で、議論の余地があって面白かった。
ただ、建築のフィールドにいる人間として展覧会を見てしまうと、誤った解釈をしてしまうように感じる。とくに、舘知宏氏の《建築折紙》は特に勘違いしやすい。また、これはある程度完成し、発展性にかけてしまうようにも感じる。
この展覧会の趣旨は、メタバース・プロジェクトの経過報告でしかなくて、メタバースとは何かという事自体を考える段階にしかない。だから、これは応用的なところにまだ落ち着かせてはならず、科学的な分析にとどめておくべきものだと思う。その意味では、柄沢祐輔(からさわゆうすけ)+松山剛士(まつやまたかし) の《中心が移動し続ける都市》が、分析までにとどめているという点で、発展の余地(もちろん建築・都市に還元出来る可能性があるという意味ではなく)があったように思う。
メタバースというもののそもそもの出発点が、”インターネット上に構築される3D仮想空間であるメタバースを利用し、実際の商用展開とは別の展開方法を追求することで、メタバースの新しい可能性を提示することを目的としたプロジェクト。”であるのだから、やはり現実世界への展開ということはあまり考えない方が良いのではないかと学生ながら朧気に感じた。
ふふふ。小生意気な感想だねw でも楽しかったですよ。シンポとか解説を聞かないとと正直分からない。なぜなら、芸術じゃなくて科学だから
http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2010/Exploration_in_Possible_Spaces/index_j.html
今日、もののけ姫をやっていた。たまたま。世界観が僕は好きで見てしまうのだが、世界観が好きというだけでなく、その世界が好きなワケで、私は、もののけ姫の世界に住んでみたくなる。贅沢を言えるなら、山犬になりたい。
難解で、私は何故タタラ場が作品上、地侍にあのタイミングで襲われたのかが分からない。もののけ姫の世界の中では、つじつまが合っているには合っているが、アシタカが吐くセリフ「そなたの敵はほかにいるはずだ」という言葉を合わせると、テーマの歯切れがもっと悪い。
考えても分からないから、もう今日は寝ます。
地侍だけシシ神様とは全く接点がない。生きるという実感も無く、タタラの経営権を求めるだけの姿が、今の僕たちにダブって見えてしまうね。
死ね!!。。。。。生きる!!!!!!