悩みだすととまらない、なにがというと検索が。。答えを求めて検索してしまう。
以前にほかのブログでも書いたことがあったが、ホームページには、アドレスというものがついていて、linkによって繋がっている。アドレスはいわば住所であるが、現実とは違ってそこに至るまでには近隣住民からのつてがないとたどり着けない。それゆえに、となりにいても気が付かない。そんな土地がいっぱい転がっている。
検索サイトは明らかに重大な使命をになっている。インターネットのネットワークは、全くヒエラルキーをもっていないはずではあるが、実際には現在、検索サイトを頂点として、ツリー構造、もしくはセミラチスとして構築されざるを得ない。情報という曖昧さがまったく排除されている世界でのはなしであるから行き当たりばったりが存在しないのである。(ネットサーフィンという言葉も最近ではつかわれなくなってしまった。)
検索サイトを頂点とする現時点でのネット世界にある危惧を抱く。それは、情報操作の容易性である。それが一時期話題になった「グーグル八分」である。それは、googleの検索に引っかからないようになるという村八分状態のことを指し、それは政府などの要請によって行われるようである。
wikipediaなどの情報が、ある程度の地位を確立したことで、仮想世界は現実に近づきつつある。しかし、その世界は、様々な思惑によって操作が施されている世界だということを忘れてはならない。
今日はちょっとおかたく、ネットの情報管理について考えて見ようかな。
卒業論文もおわり、色んな人にお世話になったなぁと感じる。同時に、もちろんいろんなソフトにもお世話になった。word、イラストレーター、フォトショ。。。などなど。でもこのシステムにもお世話になった。refworks!!!
refworksそれは文献管理ソフトだ。論文作成にあたっては、参考文献の管理は大変重要な作業だ。下手すると訴えられてしまう。しかし、文献管理は同時に面倒くさい!!そこで、利用したのがこのシステムだった。早稲田が加入しているだけあって、wineとの相性もよく、じゃんじゃん読んだ文献が追加できるから便利であった。そして、追加した情報は最終的に参考文献としてまとめた形でアウトプットしてくれる。
でもこのrefにはそれ以上の意味が含まれている。それはフォーマットという問題だ。情報は、データとして使える状況にあるか、もしくはメモに成り下がってしまっているのかということがフォーマットが整理されているかによって左右される。
「参考文献」には、書名、著者、出版社などおおくの共通項の情報が存在する。出版年なら数字それが全角か、半角か。著者の姓と名の間にスペースがあるか否か。それが統一したルールのもとで記述されているかが重要だ。
楽をしたい。それだけではなく、無理やりにでもルールを守らせるためにもデータベースを作れないうちはこのシステムを利用するのが便利じゃないかな