上野のガード下に突如としてあらわれる店舗の外装の様子。向いの中央線側からでると、こっちを見ている。その窓が、高さの違いをもっているのは、その奥に階段が設けられているからであろうか。また、その弧にともなって、看板部分の意匠も、ウネっとひとうねり。大胆かつ不敵。
この不敵な笑みをもうちょっと眺めてみよう。そうすると、だんだんと向かいの中央線に対する挑発のようにも見えるのだ。違い窓スタイルとして、挑発型の意匠なのではないかとふと思い込んでみた。
「ほら、中央線さん。あんたは中野をでればまっすぐしか走ることができないじゃないか。」
「いやいや、常磐線。あんたは全長350キロ。わたしは420キロ。自分の長さの程をわきまえてもらいたいものだね。」
「そんなこといったって、中央線。おまえは所詮中央東線じゃないか」
と、聞こえてきそうである。
しかし、3・11以降の日本。常磐線は福島原発によって、いまだ全線復旧の見込みが無い。いまこそ、手をとりあって欲しいとせつに願う。
円柱か、角柱か。この問題は建築の歴史の中で様式上、大きな問題である。円柱は、その丸みに優しい印象を感じ、角柱は空間に張り詰めた空気を感じさせ、建築に厳格な印象を与える。
しかし、その両者を嘲笑するかの様に登場した柱がある。円柱二面削ぎ落とし柱である。この柱は、副都心線新宿三丁目駅ホームで見ることが出来る。この柱は言うなればバロック。建築に遊びを与える。そして、円柱を削ぎ落した平滑な面には、曲面が白色に仕上げられているのに対し、灰色によって仕上げられているのである。まるで、柱の中身を曝け出したかのような印象を与える。しかし、足元をよく見て欲しい。灰色である。これは、いくら綺麗に見せようとも足元を支えているのは中身だぜと、柱の本質を啓示しているようにも感じ取れるのである。
そして、時として掲示としての機能も持つのである。
増山士郎氏の展示を観てきた。分かりやすいコンセプト。北アイルランドにおける紛争問題を、我が家に突如として現れた犬の糞、自分と糞を介して、糞をさせた誰かとの糞争として展開がされている。糞を除去する自分の映像と、その下には、北アイルランドの領有権が、模型として立ち現れ、自らの住まいをそこに挿入している。
増山さんの作品は以前にも見たことがあった。性欲をそそられて覗いた箱の中には、覗いている姿を映し出す自分のハズカシイおしりが見えるというものだ。普段、無意識な第三者という存在に、瞬時にして自らがその役割を負わされ、意識せざるを得なくなる。そのThe third manには、自分もなりうる、むしろ常に自分は第三者であるという事実を突きつけられる。
犬の糞を処理する自らの映像から、ふと目を逸らし、北アイルランドの模型を俯瞰的に見やる。領土問題を発端とする紛争を、非難する訳ではなく、むしろ、誰しも自分の場所を守ろうとしているという事実、また自らもその一人であることに気がつかされる。
やはり増山士郎さんは、建築学科卒業生だなと模型を見ながら身勝手な思惑にふけた。
行為の装填:鈴木勝雄
Charging Action
Curated by Katsuo SUZUKI
2011年5月21日(土)~6月25日(土)12:00~17:00 日月祝休 入場無料
http://www.musabi.ac.jp/gallery/2011-2.html
1971の出来事
Immaterials: Light painting WiFi from Timo on Vimeo.
WiFiが可視化されると、分かってはいるものの、窓や素材等に、明らかに影響されているのが見える。これみると、「壁」って全てを支配する一面を魅せつけられている気もする。
万物<壁
http://yourban.no/